(引用者註、クロスワードパズルのブームの)第一次は、大正時代末期に、アメリカからクロスワード(十字語遊戯)が渡ってきた頃だ。クロスワードの週刊誌も出るほどのフィーバーぶりだったらしい。
第二次は、昭和三十年頃。懸賞金額を高くした出版社があり、大流行したのだ。

(『本屋さんに行くと言ってウルグアイの競馬場に行った』鍜治真起 波書房 P144より)

編集面の企画競争が生んだ傾向として、五六年秋を絶頂とした、いわゆるクイズ・ブーム、さらに長編の企画連載よみもの記事の流行も目立った現象だった。

(『時事年鑑 1958』P315より)

クイズ狂時代
読売が投げた「日曜クイズ」の一石は、時代の風潮に乗ったのか目新しい企画が人気を呼んだのか、またたく間に全国の新聞に波及し、雑誌社もこれをまねた。8月ごろにはクイズを載せた社が全国で六十社を越え、中央郵便局の受付けは百五十万枚を越え、臨時の窓口を設ける騒ぎとなった。

(『読売年鑑 昭和33年版』P320より)

週刊誌のクイズ旋風
7月15日号の「週刊朝日」にはじまり、「週刊新潮」「週刊読売」「週刊サンケイ」「サンデー毎日」と7月中にはほとんどすべての週刊誌に賞金つきのクイズが登場した。

(『朝日年鑑 1957年版』P589より)

どうも(ケ)です。「パズル通信ニコリ」188号、「日本クロスワード100年史」第2回はお読みいただけたでしょうか。
その中で、昭和31年のクイズブームに触れています。クロスワードそのものではありませんが、パズルの歴史の中では無視できない意味を持つそのブームについて、今回はアレコレご紹介。

そもそも歴史を振り返ると、昭和31年のクイズブームの十年前に、種は既にまかれていました。
昭和21年12月に、NHKラジオで始まった『話の泉』。
これが日本初のクイズ番組といわれています。この番組、18年におよぶ長寿番組となるほどの人気を呼びました。その後、同様のクイズ番組がいくつも始まっています。もちろん人気番組になったものもあります。有名どころとしては、これも長寿番組のNHK『二十の扉』がその一例。
大戦直後、ものも情報も不足していた時代に、自分のアタマひとつで楽しめるクイズは、手軽な娯楽としてうってつけだったのでしょうね。そして、アタマを使って考える楽しみに、当時の人たちが慣れ親しんでいたこともうかがわせます。

復興は進み昭和31年。神武景気の直前。
米国で流行していたボナンザグラムが、このころ日本へも上陸しました。ボナンザグラムとは虫食い状態の文章を推理して復元するクイズ。
日本語版ボナンザグラム「推理作文」が、読売新聞「日曜クイズ」で5月27日に開始します。これが大人気となったのが、クイズブームの発端でした。

下が「推理作文」第1回の問題。
□の中に1文字(カナ、漢字、数字など)を入れて、元の文章を復元しましょう、というもの。句読点などは略されています。
出題者の用意した原文と、完全に一致すれば正解。一字でも異なってはいけない厳格なルール。原文は厳重に保管され、立会人とともに開封するのだそうな。

お見□いはすんだ彼□を□ったわ□のある橋
を□りながら昨□は□だから映画は□むし□
代劇はなさそうだからとプロ野球にしたの会
□の□だちは山だけど経□が□いからって□
ったわ大□戦よ五回に□くも得点したが立□
に□点よそのあと□にリードされていよいよ
最終回打□は一番いいのに□飛球で□死とこ
ろが□打が続いたあと□番の□が□塁打を□
って三A‐二で逆転勝よ□がぼーっとしたわ
帰ってお□事よ
□知子

(読売新聞 1956年5月27日・朝刊より)

文章の書き手の人となりなど、ヒントも一応用意されているんですが、でもそのヒントだけでこれをすべて埋めるのは無理。そもそも書き手の名前まで当てなくちゃならないのですがそんな情報どこにもなし。
つまりこれ、知識さえあれば必ず正解を出せるクイズとは一線を画した、あらたなスタイルのナゾともいえます。ヒントで決められない部分は、推理や想像で埋めねばならないのです。
これはクイズなのか、というと、ものすごくめんどうな議論になりそう。
じゃこれパズルか、と尋ねられたら、やっぱり困ってしまう気がします。
なんなんだろうこれ、と聞かれたら、なんだろうねえこれ、と答えたい。

この問題の答えは以下のとおり。句読点は補っています。

お見合いはすんだ?彼女を誘ったわ。縁のある橋を渡りながら、昨日は雨だから映画は込むし、近代劇はなさそうだからと、プロ野球にしたの。会計の人だちは山だけど、経験が無いからって断ったわ。大接戦よ。五回に辛くも得点したが、立所に同点よ。そのあと逆にリードされて、いよいよ最終回、打順は一番いいのに、凡飛球で二死。ところが安打が続いたあと、五番の彼が三塁打を放って、三A‐二で逆転勝よ。目がぼーっとしたわ。帰ってお炊事よ。
真知子

(読売新聞 1956年6月3日・朝刊より)

ふざけるなーこんなのわかるかー、という声が聞こえてくる気がします。まったく同意です。そして当時の人々もそう思ったことでしょう。なにしろ、第1回の正解者はゼロだったのですから。
しかしここがまたうまいことできてまして、正解者がいない場合、懸賞金はキャリーオーバーで翌週に加算されるのです。正解できなければできないほど、懸賞金がアップします。射幸心をあおりますねえ。意気込んで次の出題と取っ組み合う人々の姿が目に浮かぶようじゃないですか。

この「正解がなければ次回に加算」システム、後発で始まった週刊朝日の「ボナンザグラム」でも、サンデー毎日の「ラッキー・サンデー・クイズ」でも採用されています(サンデー毎日が載せていたのはクロスワードですが)。ほかのいろいろな新聞雑誌を確認してはいませんが、多くのところで採用されていた模様。
このシステムこそが、昭和31年のクイズブームを支えていたのかもしれません。
ちなみにこのシステムが過熱したせいか、昭和37年に「不当景品類及び不当表示法」が成立して賞金上限が制限され、ブームの終焉に一役買ったという説もあります。

クイズブームとは呼ばれていますが、この「推理作文」、正当なクイズとはいいがたいものです。
とても型破りで、やや乱暴な出題形式です。正答を出すには偶然や運も必要です。
でも、「知識さえあれば正解できる」クイズの枠を破り、思考と発想しだいで誰でも正答にたどりつけるかもしれないという可能性を生み出しています。
これ、エンタメとしての新局面を開いたのかもしれません。だからこそ、とても受けたのかもしれません。

クロスワードはしばしばクイズやなぞなぞと同類に見なされます。
しかしクロスワードのヒントは単なる一問一答ではありません。
ときには複数解答のある質問です。ときには想像を膨らませる必要がある問題です。そしてときには、解き手に正解を連想させるために、驚くべき姿を見せることもあります。そここそが、単純なクイズとの、大きな違いです。
昭和31年のボナンザグラムの破天荒さ、この「クイズとの違い」に通じる印象を、私(ケ)はすこし感じたりしたのでした。
などとわけのわからない感慨にひたっていますが、当時のかたがた、怒らなかったのかなあ本当に。

そしてクロスワードの問題もどうぞ。昭和31年(1956年)をテーマにした問題です。

次回も100年史を補遺したいと思います。おたのしみに。

参考資料
「QUIZ JAPAN vol.2」セブンデイズウォー ほるぷ出版

(次回は2024年10月30日に更新予定です)