文章:(も)
ご機嫌いかがでしょう。パズルについていろいろとだらだらと考えるコーナーです。第3回です。

パズルは広い意味の「問題解決」の1つであるけれど、世の中にあるよろずの問題解決とくらべてやけに楽しくて快感も大きいがそれはなぜだろう、といったことを前回前々回に引き続き考えていこうかと思います。

前回、「SPECIAL OTHERS」さんのインタビューから、
「不安定なところから安定したところに行ったとき、人は高揚する」
という考え方を引きましたけれど、
問題解決に限らず、不安定のあとに安定が来ると高揚するというのは、
きっとそういうものなんでしょう、と。

いいかげんな素人考えですが、
もやもやがなくなった、という状況でたぶん脳内物質なものが出そうじゃない?
もやもやのストレスをこう、緩和する感じで。
(ま、そもそも「もやもや」って何だよという話もありますけれども)
不安定と認識する状況が安定な状況に変わったとき、物質が出るかどうかはともかくとして、
人は高揚したり快感をおぼえたりするものである、と、
それはもう前提ということにして、今宵は話を進めてみます。

で、問題がそこにあるということは、
ようわからん状態だったり、好ましくない状態であるということですが、
多くの一般的な問題はそれらを解決するいい答えがあるかどうかわからないですよね。
社会的な問題だとか、人間関係の問題だとか、
絶対的正解なんかないわけですし、
解決までにどのくらい時間がかかるかもわからないし、
どっかでトレードオフというか、誰かが妥協しないといけなかったりするし、
そもそも時間が経つと問題の状況設定も流動するかもしれないし。

問題の形も有機的だし、サイズ感もとらえにくいといいましょうか。

そこへ来て、パズルとか「出題される問題」というのは、
単一か複数かに関わらず、答えがあることが保証されているわけですね。
取り組んだ先に答えが見つかることが保証されてるというのは、モチベーションになるわけです。だって、やればいつかははっきりした答えが出るのだから。
しかも膨大な時間ということもなく、そこそこの時間であるし、
そもそも義務でもないからやりたいときにやればいいのだし。
で、正解すれば、不安定→安定による快感が待っていると。

・問題の大きさが手に負えるくらいのコンパクトさである。
・問題の条件がタイミングによって変わったりしない
・解決にかかる苦労も、手に負えるそこそこの労力である。
・そこそこもやもやして、不安定感を味わえる
・解決すると快感

といったようなあたりが、問題解決という意味でパズルをとらえたときの特徴なのかなあと。
そこそこの時間をかければ腑に落ちる解答にたどりつけます、
問題解決の喜びをコンパクトに、いい感じの大きさに切り分けてるので純粋に味わえますよという、パズルはそんな娯楽なのではないかと。
ということで前回引いた、ほぼ日さんの鼎談のキーワード「適切な大きさの問題」に帰っていくのですが、問題解決界における「問題の大きさと形」は問題を解く人に引き起こす感情に大いに影響を与えるのではないか、というのが今宵の結論であります。

同じ問題解決系の娯楽でいえば、クイズやボードゲームもありますけれど、
クイズやボードゲームだと、戦って勝つという快感の要素も混じる(ものが多い)のに対し、
パズルはその要素があまりなく、純粋に問題解決時の脳内物質的快感を娯楽化したものなんじゃないかと。
(だからパズルがイケてるとかイケてないという話ではないです、念のため)

スポーツが戦闘だかなんだかを娯楽化したものであるように、
パズルも問題解決の娯楽化なのだ!

問題解決能力を高めるために、パズルが有効なのだ!
みんなパズルを解けばいいのだ!

というわけで、私の中では何となくすっきりしました。
脳内物質的なものが今、私の内部できっと出ています。

人によっては、前回や前々回と同じことを言っているじゃん、とか、
結局何を言いたいかわからないぜ、
というご意見もあるかもしれませんが、
このコーナーは私が自分で納得できると嬉しい、という原理主義なので、
ご容赦くださいませ。
では…、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…。