文章:(も)
はてさて、パズル雑考の第2回でございます。

あれですね、さっそく余談ですが、この「次ニコ」において「連載第2回」となるのは全記事を通して初めてなので、どことなく先陣を切ってる感覚があります。
だからなんだ、という人もいるかもしれませんが、
「0と1は大きく違うということはよく言われるけど、1と2というのもすごく違うと思っていて、特に何かを経験することにおいて、1回きりで終わるのと、複数回経験するのは大きく違うと、ぼくは夫婦でよく話す」といった趣旨のことを、かつて向井万起男さんが著書で書いていた…気がします。
長々書いたわりに、気がする、と心もとないのですけども、ま、第2回というのはそういう意味で価値のあることなんじゃないかなと。

それは置いといて、前回の話は「問題を解決する」という営みは世間にいろいろあるけど、問題解決に付随する楽しさの度合いはけっこう異なる、というようなものでした。で、パズルというものは問題解決界においては楽しさの度合いは高いが、それはなぜなのだろうと問いを発してみたところまでです。

ちょこちょこと考えてるのですが、考えてみるほどに、なかなか抽象的で壮大なテーマだなあと。
このコーナーはもともとの心意気として、結論は出なくてもいいやというスタンスを掲げているのですが、それにしても第1回からつっこむテーマではなかったかもしれぬ。

そこで、というわけでもないですけど、パズルの面白さについて考えるとき、前々から私の念頭にあって引っかかっているWEB上の文言をちょっと引用してみようかなと。パズルを「問題を解決する」ものの一種と考えたときに関連しているという気がするやつを。あれですね、WEB上の連載であることを活かしてる感じもするし。

宮原:音楽の何で気持ちが盛り上がるのかを考えると、不安定な音と安定する音があるんですよ。人間って、不安定なところから安定したところに行ったときに、ものすごい高揚感を得るんです。

引用元:
CINRA.NET「否定されてもやり方を変えなかった。SPECIAL OTHERSの10年」

これは、インストバンド「SPECIAL OTHERS」の約3年前のインタビューです。ここでは音楽のことについて述べているわけですが、上記のような一節があるのです。
最初にインタビューを読んだときに
「不安定なところから安定したところに行ったとき、人は高揚する」という考え方は、そのまんまパズルについても言えるなあと私は思ったものであります。

前回の「問題&解決」というテーマに近づけてみますと、
「問題」というのを平たく言えば、「好ましくない状態」であったり「わけのわからないものがそこにある」ということなのかなと。
で「解決」というのは、「好ましくない状態が解消される」や「わけのわからないものがわかるようになる」ということであろうと。

となれば、「問題が解決する」というのはモヤモヤっとしてたりこんがらがっているものがスッキリと整然とクリアになるというわけで、心理的に不安定な状態が安定に転じるということであり、だから解決には高揚がともなうし、パズルを解くのも一種の解決だから、すなわち高揚するのである、インスト曲とパズルは通底する構造を持っているのであるのだなぁ…。

と「不安定→安定=高揚」説をもとにするとここまではいいんですけど、いかんせん世の中にある数多の問題解決とパズルとの間の「高揚の度合いの差」がなぜあるかに説明がついていないですね、うーん。

ただ、勘ですけど、音楽もパズルもある程度論理で割り切れているというか、どちらも有限の組み合わせであるし、1曲・1問の範囲というかサイズ感がコンパクトであるという共通点があるなというふうには思います。だからどうというのは今の時点では何もないですけども。

あともう1つ引用。

毎日毎日動きを続けていると、
適切な大きさの問題が
つぎからつぎに生まれるんだそうです。
で、それさえ生まれれば、
インターネット上にはそれを解決する人が現れる。
新聞にクロスワードパズルが載っていたら
それを解く人がいるように、
それをみんなが解いていくんだと。

引用元:
ほぼ日刊イトイ新聞「梅田望夫×岩田聡×糸井重里 適切な大きさの問題さえ生まれれば。」

こちらは、ほぼ日さんの鼎談のうちの連載第4回目で、オープンソースのプログラム開発の話の中にあるくだりです。

鼎談全体もとても面白いのですが、まずこのコーナーとしては「クロスワードが載っていたらそれを解く人がいるように」というところに注目してみたいのです。

実際、クロスワードが載っていたらそれなりの数の人がそれを解くわけですが、あらためて考えると、何で解くのでしょうね。
迷路がそこにあったらなぜ解くのか?
どうしてわざわざ袋小路や遠回りの道を作り、時間をかけて迷ってみてしまうのか。
謎がそこにあったら、なぜ解くのか?
クイズを出されたら、なぜ人より早く答えようとしてしまうのか?
えーとどつぼにはまって来ている気もしますが、結局そこなんですよね。

そして鼎談からの引用中でもう1つ「適切な大きさの問題」という概念が、問題解決とそれにともなう快感の度合いにけっこう関係しているんじゃないかなとそんな気がしているのですが、長くなってきたので今回はこのあたりまでにします。
第3回があるなら、この続きからいこうと思います。