クロスワードの発明者 図画の先生が今は百万長者
【ナウエン帝通四日放送】今日米国で最も人気者であるクロス・ワード・パッズルの発明者ゲラー・ブルゲス氏は目下パリーを訪問中である。氏は初め図書の先生から身を立てて今では百万長者になっている

(朝日新聞・大正14年9月5日付朝刊より。表記は現代仮名遣いおよび新字に修正、以下同)

誰だよゲラー・ブルゲスって。そう思った方も多いでしょう。私もそう思いました。どうも(ケ)です。

これまで何度も利用しているネタ元、例えば本山桂川『クロス・ワードの考え方と作り方』や『クロスワード世界』創刊号でも、同じくブルゲス先生がクロスワードの発案者であるという文章を載せております。
あれあれクロスワードの産みの親ってアーサー・ウィン氏ではなかったっけ、そう思った方も多いでしょう。そのとおりです。1913年12月21日のニューヨーク・ワールド紙にクロスワードの原型であるワードクロスを載せたのは、新聞記者のウィン氏です。詳しくは第37回をご覧ください。
つまりはこの朝日新聞の記事、われわれ出版関連の人間には忌まわしい言葉であるところの「誤報」というヤツではないでしょうか。ああひとごとながら恐ろしい。書いていても胸がドキドキします。
いや、好意的な解釈も可能といえば可能なのです。
米国のクロスワードブーム、クロスワード誕生から10年あまりのちの1924(大正13)年に再燃しています。日本へのクロスワード伝来は、このときの流行に後押しされたのでしょう。
1924年の米国で、ブルゲス先生がクロスワードで大もうけして一躍有名人となったなら「ああブルゲス先生がクロスワードの産みの親なんだ」と日本人が勘違いしても不思議ではありません。もしかしたらそんな行き違いがあったのかもしれません。
まあ、1924年4月に世界初のクロスワード本を出して巨万の富を得たのは、リチャード・サイモンとマックス・シュスターの両氏、現在もある大手出版社サイモン&シュスター社の創業者たちなんですけどね。ブルゲス先生じゃないんですけどね。
そもそも大元の記事、見出しは「図画の先生」なのに本文では「図書の先生」ってなってるところがうさんくさい。紙面で後者には「としょ」とルビが振ってあるんだよ。イヤ図画と図書は旧字だと「圖畫」「圖書」でよく似てるからルビの係の人が読み違えたんだろうけどそれにしたってそれにしたって。

けれども世の事物の悉くが其の起源を余り明確に示し得ないと等しく、クロス・ワード・パヅルの起源も、その考案者とか発明者とかを的確に示すことは出来ませんが、大略今より三十年前に、ニューヨークのある場所で土地の新聞記者が多数集まって居た際、其の内の一人が所在なきに徒ら書きをして居ると、ふと出来上った市松模様の中へ幾つかのワード(言葉)を伏せて同僚に回答を求めたのが真の起源らしく伝えられて居ます。我国では先頃米国から帰った東京の都河辰夫氏が初めて「十字語合せ」と訳して、最近のように流行するに到ったのです。

(友田健雄『最新世界的遊戯クロスワードパヅル虎の巻』より。三省堂・大正14年10月発行)

また新たなクロスワードの起源情報。誰が伝えた情報なのかしら。それに加えて日本への紹介者として都河さんが登場。誰だろうこの人。
ネットで名前を検索すると、当時の雑誌『婦女界』に関わっていた人物が見つかります。この『婦女界』って夏ごろにクロスワードを載せはじめた雑誌なので、そのあたりがなにか関係あるのかも。
現代のようにネットですぐものが調べられる時代ではないとはいえ、同時代かつ同国内にもかかわらず情報が混乱してしまうのですね。
すでに書いたと思いますが、クロスワードを初めて「篏め字」として載せたサンデー毎日スタッフは、阪本勝、石川欣一、前田三男といった面々。その一人の前田さん、クロスワードについて、ことば遊びの歴史から解説する記事を書いていました。その中から、クロスワードの起源についての文章を一部引用。

以上でクロス・ワードの歴史は甚だ粗雑ながらほぼこれをつくしたつもりですが、最後にのべたい一つの事実は、クロス・ワードの創案者が何人であるかということです。一説にはアメリカの新聞記者、アーサー・ウィン氏をその創案者とし、一説にはゲレー・ブルゲスという図画の教師がそれだともいいます。何れにせよ、その出現は極めて最近のことなのですが、ボストンでは三十年も以前から、すでにクロス・ワードが行われていたと主張する人もあります。

(サンデー毎日・大正14年10月11日号「昔のワード・パヅル」より)

前田記者、この時代に、ちゃんとアーサー・ウィンの情報を得ている所はかなりすごいと思います。三十年前のボストン説は、都河さん情報と一緒に伝わってきたのかなあ。
ちなみにウィン氏の情報、日本ではあまりきちんと伝わらなかったらしく、昭和もそこそこ後の時代にならないとウィン氏の名前が出てこない感じ。早い時期の記述を私が見つけられてないだけだ、という可能性も高いですけど。

さてさて謎の情報ばかりで混乱してきたところでクロスワードをどうぞ。今回のテーマは「謎」。世の中にはわからないこと、不思議なことがたくさんあるものです。

ところで先ほどの前田記者、こんなことも書いています。

しかしながら支那の錦詩も、日本の折句や双六盤の歌も(引用者註・クロスワードの原型といえる各種ことば遊びの例)、ただ文学に携わっている一部上流の人士の間にしか行われていませんでした。クロス・ワードはそうした趣味を、上流下流を通じ、すべての階級に行き渡らせたという意味で、非常に近代的な意義をもっています。

(サンデー毎日・大正14年10月11日号「昔のワード・パヅル」より)

自分たちが世に送り出したクロスワードの価値を信じて高く評価し、そして愛おしく思っていたのが伝わってくる文章じゃないでしょうか。ちょっと感動しちゃいました。

今回の記事執筆にあたっては、サンデー毎日さんにご協力をいただきました。ありがとうございました。
ではまた次回。

参考資料
「週刊誌五十年 サンデー毎日の歩み」野村尚吾 毎日新聞社
「遠山顕のクロスワードの謎」遠山顕 日本放送出版協会

(次回は2024年8月28日に更新予定です)