(溝)でございます。X0周年の思い出シリーズ、続編です。
…しかし、おかしいなあ。20周年の思い出が全然ないぞ…?

ニコリ創刊20周年だったのは、西暦2000年。調べてみましたが、ニコリでは何か特別なイベントを開催したというわけではないようです。すでにスタッフだったのに「ないようです」って他人事みたいですが、全然思い出せなかったのだから仕方がない。

イベントがなかったのなら出版物はどうか、と振り返ってみると、『20世紀クロスワード』という大作(1901年から2000年までの出来事を振り返るクロスワード。全体が横に長くつながっていて、その長さはなんと5.4メートル!)がありました。これが20周年記念企画なのかと思いきや、そう銘打っていた事実はどこにもありません。不思議。
ニコリ本誌自体はどうかというと、92号で「創刊20周年記念号」とうたっていますが、特別な読み物などは見当たりません。強いて言うなら「20年間ジャンケン大会」というコンテストをやっているぐらい。…申し訳ないですが、地味です。
こんな具合に、創刊20周年は不思議なぐらい淡々と過ぎ去っていった模様。そりゃ覚えてないわけです。

これだけだと内容的にさみしいので、30周年もついでに書いちゃいましょう。

30周年(2010年)は、一転して派手でした。なにしろ、この年刊行したすべての本で表紙に「ニコリ創刊30周年ありがとうマーク」をつけたし、帯もつけたし、ニコリ本誌は130号から133号まで4冊にわたって創刊30周年記念企画を載せていました。なんなんだろうこの20周年との違い。この10年で何があった? …はい、正解は「数独ブームがあった」でした。数独ブームで会社にお金が増えたからいろいろできたんですね。きっと。

いろいろあった創刊30周年企画の最大の思い出は、10月30日の「ニコリまつり」です。
浅草駅近くの東京都立産業貿易センター台東館で行われたこの「まつり」。2月に実施が決定、リーダーに立候補してそのまま任命されました。

会場は4月中に押さえ、5月頃には内容をほぼすべて決めていたと記憶しています。5月末に私が15分ぐらいで適当に書いた会場のレイアウトに誰も文句を言わず、そのまま採用になったときは「本当にそれでいいのか?」と思ったりもしました。

内容は決めたものの、他の仕事はいつも通りにあるので「まつり」の準備にかけられる時間はほとんどありません。結局、一部の部署を除き、本格的な準備に入れたのは10月になってから。最後の1週間は睡眠時間をかなり削りましたし、前日は緊張のあまり一睡もできなかったことを覚えています。

会場を1日しか借りていなかったので、現地での準備は当日の朝。確か7時に集合だったかな。しかし、当日は朝から嵐(台風)でした。雨会社の本領発揮ですな。
雨のせいもあって、準備はギリギリ間に合わず、開場を5分遅らせることになってしまいました。お待ちのお客様に責任者としてお詫びの挨拶をしたのですが、すでに20人ほどが列を作ってくださっていて、その全員が「まったくしょうがないなあ」という感じの、怒ったような笑ったような顔をされたことはよく覚えています。

なんとかスタートした直後、大事なことに気づきました。スタッフ全員がギリギリのタイムスケジュールで動くことになっていたので、全員分の予定表を個別に作っていたのですが、それを個々に渡すのを忘れていたのです。準備が遅れたせいで、全体ミーティングをする時間すらなかったのでした。自分自身も時間を目一杯使って休憩も取らずに動くことになっていたので、最後までスケジュールは配れずじまい。それもあって微妙に人がいなくなる催しもあったみたいです。今さらですが、本当に申し訳ありませんでした。

500名以上に来場いただいた「まつり」はなんとか終了し、会場の片付けもして、どこかのファミレスで何人かのスタッフと小規模な打ち上げを行ったことは覚えているのですが、その後どうやって帰ったのかまったく覚えてません。ただ、「やりとげた」という満足感だけは残りました。「楽しかったし、もう一度やりたいけれど、リーダーはもうやりたくない」というのが率直な感想でしたね。でも、本当にいい思い出になりました。