聞き手:ニコリ編集部(将)
語り手:パズル通信ニコリ新編集長(も)
――編集長となって初のニコリが発売されましたが、今の率直な気持ちを教えてください。
も「今はもう、次号をどうしようという感じ。直後は多少感慨もありましたが…落ち着きました」
――ニコリの編集長になることは、いつごろから意識していましたか?
も「うーん、覚えていないですが子どものころに思ったことはあったかもしれないですね。小学生のころからニコリ読者でしたから。
ニコリに入社してからは強く意識したことはなかったです」
――読者歴が長いとは聞いていましたが、小学生からとは!
パズル的なものに初めて触れたのはいつごろですか?
も「小学校低学年のころに、他誌に載っているパズルを解いた記憶はあります。その後8歳のとき、当時流行っていた巨大迷路に親と行ったら併設の売店にニコリ28号(1989年12月発売)が並んでいて、それを親に買ってもらったのがニコリとの出会いでした」
――ニコリに投稿したのも相当早いと聞きましたが。
も「中学1年の冬です。1994年12月発売の52号に掲載されたぬりかべ・ザ・ジャイアント。
初投稿初掲載がジャイアントで、それから3年間ぐらいは大体毎号載り続けていたんじゃないかな」
――すごいですね。それから紆余曲折を経て(?)ニコリに入社したということで。
学生時代、ほかに続けていたことはありますか?
も「飽きっぽいので、そんなに1つのことが長続きしたことはなかったですねえ。続いたという意味では、パズル作りが珍しいくらいです。大学の学部時代に塾講師のアルバイトをどういうわけか6年間やっていましたけど」
――パズルを続けられた理由は?
も「あるときから、飽きないようにするためにどうするか、というのをテーマにしているんですよ。
中高生の投稿常連の人が、大学に入ると熱が冷めてしまうことがけっこうあるじゃない? ま、私もそうだったんですけど。
パズル作りにマンネリを感じていたころ、ニコリがネット上のパズルサイトを始めるということで、私にもパズル作りの依頼がきたんですが、それをきっかけにパズルの作り方をガラッと変えました。
それまでは自分の感覚だけに依って作っていたのですが、アイデア重視というか、構想重視というか、そうやって作るのを重視するようにしたんです」
――その考え方はパズル本作りに役立っていますか?
も「役立っているかどうかわかりませんが、考え方として同じではありますね。こういうことをやったらウケるかな、とかコンセプトを立てて、制作物に落としこんでいくという意味で」(以下、18日更新の後編に続く)