どうも(ケ)です。
『本の雑誌』2000年11月号に、「パズル雑誌編集者匿名座談会/校正がいちばん大変だ!」という記事が載っています。この記事には、当時『パズル通信ニコリ』編集長だった、現社長の(安)も登場しているのですが、それはさておき。
記事中に「パズル雑誌はいま全部合わせると三十誌以上あると思うんだけど、総合誌の時代を経て、最近はどんどん専門誌化しているね」との記述があります。そういう発言が出るとおり、2000年ごろは、ナンクロやアロークロスの専門誌があいついで創刊されていた時代でした。
今回は、そのアロークロスについてのお話。

アロークロスがどういうものかというと。『パズル通信ニコリ』145号の誌面から引用してしまいましょう。
普通の盤面だと黒マスになる、文字を書き込まないマスに、カギの文章が入っています。そこから矢印で、言葉の入る場所が示されています。
この形式のクロスワード、「スウェーデン風クロスワード」や「北欧風クロスワード」と呼ばれてるんですけど、これが本当に北欧風なのかどうなのかはよく分かりません。Wikipediaの「アロークロス」の項目を見ると、日本でも最初は北欧風と言われていた、みたいな記述があるんですが、でも典拠が書いてない。

ちなみにですが、会社にあった、90年代なかばのドイツのパズル雑誌を見てみると、クロスワードはたいていアロークロスの形式でした。ドイツはヨーロッパでは北側に区分されるでしょうから、やはりアロークロスは北欧風なのは間違いないのかもしれません、とこれはまるっきりの推測です。

もしかしたら、アロークロスが登場したときに、その起源について書かれてるかも知れない、と思い、ちょっと調べてみました。
アロークロス専門誌は、1999年2月に英知出版(当時)創刊の『アローキング』が先駆けの模様です。『アローキング』誌は、国会図書館にも保存されていません。ですが、同じ英知出版の『クロスワードキング』には創刊のお知らせが載っていました。
当時の『クロスワードキング』には、毎月ではないものの頻繁に、カラーイラストを用いたアロークロスが見開きで掲載されています。おそらくはこの問題への懸賞応募が多いので、アロークロス単独の専門誌が誕生したんじゃないでしょうか。
『クロスワードキング』で最初にアロークロスが載ったのはいつか、それを調べたら、1994年ごろまではさかのぼれました。でも、ルールの特別な説明などはありません。北欧うんぬんの記述ももちろんありません。あれー。

このころ、他のパズル誌でもアロークロスがよく載っていたならば、それを参考にアロークロスを載せるようになっても不思議ではありません。どんなルールか書いていなくても、すでにおなじみだから、という暗黙の了解があったのかもしれません。
だとすると、本当の発祥や由来を知るには、この当時出ていた、他のパズル誌を調べてみる必要がありそう。

どこを探せばいいのかなあ、と少し考えました。このころの『パズラー』誌の目次コピーが何誌分か手元にあったので、それを調べてみましたが、アロークロスらしきパズルは見つからず。さあどうしよう。
そんなとき、別件で『世界文化社50年史』(世界文化社、1996年)をパラパラと見ていたら。1984年に出されたパズラー別冊『パズルファン』の書影で、その表紙にアロークロスらしきパズルを見つけました。なんとまあ。現物は持っていないので推測でしかありませんが、日本のアロークロスとしてはかなり古い部分に入るだろうことは、想像に難くありません。
こうなると、調べなくちゃいけない範囲がとても広くなっちゃったので、日本のアロークロスの起源を調べることは断念。

ところで、そもそもなぜアロークロスが人気だったのでしょうか。
いちばんの理由は、言葉の入る場所や、その言葉に対応するヒントの文章を、探しまわらなくてもよい、というところかもしれません。それぞれがすぐ近くに、矢印で結ばれて配置してありますからね。つまりはラクチンなのです。
また、黒マスを複数使ってヒントのスペースを大きくすれば、イラストや写真を入れて派手にできるところもよいのかも。先述の『クロスワードキング』で、見開きのカラーページによく掲載されていたとおり、見ばえがする問題になるのです。
あと、マス目は大きめになる傾向があるので、老眼にはやさしいつくり。
デメリットといえば、スペース上、長いヒント文章は使いにくい、というあたりでしょうか。大きいわりにヒントの文字が細かくなりがちなのは、老眼にはやさしくない。

というところで今月の問題。北欧をテーマにして作ってみました。

ではまた次回。

(次回は2025/8/27更新予定です)