長い間わが国ではクロスワード・パズルの人気はもう一つパッとしなかった。それが様変わりしたのはここ数年のことである。一九八二年に滝沢てるお著『ザ・クロスワード』(平凡社)が刊行されたのがきっかけとなって、以後続々とクロスワード・パズルの本が刊行されるようになり、筆者の収集したのも五〇冊近くなった。
(『Play Puzzle パズルの百科 Part3』高木茂男 平凡社 1986年)
どうも(ケ)です。
これまで「100年史」の中では、雑誌の変化を中心に見てきました。もちろん書籍の存在を忘れていたわけではないのですが、雑誌と比較して市場の状況が捉えにくいためにあまり触れてきませんでした。
国会図書館のデータベースを、キーワード「クロスワード」で検索してみると、1970年代を通じて見つかる図書は数冊。80年代に入ると、1982年ごろからヒットし始めます。1982年といえば、引用文中で高木茂男氏が触れている『ザ・クロスワード』が出た年です。
クロスワード本の数は年を追って増加し、1986年に20冊近くにまで至ります。ここをピークとして減少し、90年代の後半には、毎年数冊ペースになっています。国会図書館の書籍データベースから見ると、クロスワード本はそんな傾向にありました。
でもこれ、本が何種類出版されたかの指標にはなるのですが、どの程度売れていたのかなどはわからないのですよね。
その一方で、パズル誌の発行数のような社会での動向は、『出版指標年報』(出版科学研究所)などの資料が存在するので数字として確認できます。そういう事情もあって「100年史」では雑誌中心の記述になったわけです。
さて。
先述した『ザ・クロスワード』の作者である滝沢てるお氏。
この人は、日本のクロスワード作家の先駆けというべき方です。1929年、福岡県の生まれ。ミュージックホールの舞台監督や、雑誌・教科書の編集者、放送作家などさまざまな職業を経た末に、パズル作家となりました。
最初は娯楽雑誌の埋め草としてクロスワードを作っていたそうです。そこに、百科事典を出していた平凡社が、クロスワード本が百科事典の販売促進に結びつくのではないか、と話を持ちかけたのが『ザ・クロスワード』のきっかけだったとか。確かに、クロスワードを解くのにはいろいろな知識雑学も必要ですから、百科事典とは相性がよいかも。この『ザ・クロスワード』が予想外にヒットし、シリーズ化することになります。
1988年には『クロスワードを作る本』(廣済堂出版)も出しています。この本がクロスワード作家を増やしたのが、90年代のクロスワード雑誌の好調にもつながったのかもしれません。
1992年、滝沢てるお氏は、9月6日を「クロスワードの日」にしようと提唱しました。
廣済堂出版の「クロスワードクラブ」1992年9月号には「9月6日はクロスの日 もっともっと、クロスしよう!!」といううたい文句のもと、滝沢てるお氏のクロスワードが出題されています。
それに先立ち「クロスワードクラブ」7月号で、こんな募集が。
クロスワード・パズルに挑戦 東芝杯争奪 ペア日本一決定戦!!
全国のクロスワード・パズルの愛好者の皆さまへ、ビッグなお知らせ!!
クロスワード、ナンクロ、スケルトン、そしてジャンボクロスワードの問題に次々と挑戦するゲームです。全国から選抜された50組のペアが、スピードと正解率を競い合い、ペア日本一を決定するスリル満点、史上初のイベントに、奮って参加しませんか。親子でも、夫婦でも、友だちでも、お好きな方とペアを組んで、応募してください。
大会要項には、「会場までの交通費、宿泊、食事代は主催者の負担となります」とあります。2万円の参加費は募集するものの、グランプリには大型カラーテレビ、準グランプリは冷凍冷蔵庫などの豪華賞品も用意されています。
ずいぶん豪華な大会で、隔世の感がありますねえ。
当時はバブルが弾けて間もない頃で、好景気の余波は世間にまだ残っていました。株価や地価などはともかく、バブル中に計画された大型プロジェクトの成果が次々世に出ていた時期だったので、さほどの悲壮感はなかった記憶もあります。
募集は、同じ廣済堂出版の「クロスワードハウス」誌でも行われました。そしてこの大会、当然ながら滝沢てるお氏は大きく関わっています。
ペア日本一決定戦、抽選により全国から集められた50組が、新宿京王プラザホテルに二日間泊まりこみ、16時間に渡るオールナイトゲームで競われました。
そして大会入賞者は、1992年9月5日に開かれた「クロスの日の前夜祭」パーティーに招かれ、作家や編集者などの関係者と共に、楽しいひとときを過ごしたのだとか。
クロスワードの日を定め、それを記念したパズル大会の開催に協力。滝沢てるお氏はクロスワード普及の上で大きな功績を残したのでした。
翌1993年、協賛企業を増やして第2回ペア日本一決定戦が開催されています。副賞も海外旅行とか真珠のネックレスとか高級腕時計とかグレードアップしています。終了後は参加者を交えて大パーティーが開かれたとか。
でも残念ながら、3回目は開かれなかった模様。やっぱり不況の波に勝てなかったんですかねえ。
2023年12月13日、滝沢てるお氏は94歳で逝去されました。パズルの歴史における偉人の一人であったと思います。
さて、今回も最後に問題をどうぞ。「○○の日」「○○記念日」をテーマにしてみました。
ではまた次回。
(次回は2025年5月28日更新予定です)