クロスワードを、純粋な言葉遊びとしてとらえ、作り手と解き手が会話をし、喜怒哀楽を共にする優れたシステムだと惚れこんだからこそ、この辞典は、出るべくして出た。
我がニコリ・スタッフは、大正時代の終わりに日本に上陸したクロスワードが、60年もの間、「遊び」としては洗練されずに歩いてきた歴史を見た。それから10年、ルールを整理し、楽しく遊べるように遊んできた。この辞典は、私たちの方向性に共鳴してくれて、一緒に遊んでくれた人々と共同で作った辞典である、と言っても過言ではない。

(ニコリ編『クロスワード辞典』(波書房)、鍜治真起「刊行にあたって」より抜粋、1991年6月)

どうも(ケ)です。
『クロスワード辞典』の前文がとても熱かったので、つい長々と引用してしまいました。
「日本クロスワード100年史」本編で「クロスビーはね、クロスワードをとてもスマートな子に育てたんだよ」という(ま)の一文を引用しましたが、それと並ぶ熱情が感じられます。
今回は、80年代から90年代にかけての、パズルとしてのクロスワードの成長について触れようと思います。

クロスワードの投稿を募っていたクロスビーでは、どのようなクロスワードが望ましいのか、それを示す必要性がありました。つまり、作るための基準、作家が守るべきルールを定めねばならなかったのです。
のちにクロスビーで「クロスルール三原則」として整理されたルールがあります。

1 シマをつくらない
2 黒マスをタテヨコに連続させない
3 コトバは名詞が原則

これらのルールは、クロスビー6号(1986年11月)あたりから現れ、11号(1989年4月)でこの形にまとまりました。その後、最終刊である25号(1992年10月)まで掲載されていました。
クロスビー合併後に最初に出たパズル通信ニコリ(以下『本誌』)40号(1992年12月)では、このルールは下記のとおりになっています。

1 黒マスで盤面が分断されてはいけない
2 黒マスをタテヨコに連続させない
3 入るコトバは名詞が原則
以上がクロスワード三原則です。特別の意図のない
場合はこの原則は守ってください。現在ニコリでは、
ケイだけクロスなどの特殊なクロスワードを除いて、
黒マスの配置は対称形にしています。

本誌月刊化のあたりから、このルールは明文化されなくなります。ある程度普及し、あえて書く必要はもうないという判断なのかもしれません。

この種のルールを提唱していたのは、もちろんニコリだけではありません。
パズラー別冊『パズル激作塾』(世界文化社、1988年)には、以下のような「クロスワードの三大原則」が載っています。

1 黒マスによってマスを分断しない
2 黒マスを上下左右に連続させない
3 マスに入れる言葉は名詞に限る

上記の三原則のような決まりは、解く上では意識することのない、作る側にのみ求められるルールです。けれどそれを整理し固めていくことで、生み出されるクロスワードの質は向上していきます。結果、クロスワードは遊びとして洗練されていったのでした。

さて。
ニコリにはもう一つ、クロスワードをはじめとするパズルの成長に大きく影響した事情がありました。
それは、ニコリが雑誌編集と同時に、パズルの制作や編集もする集団だった点です。

多くのパズル誌では、下図のような体制で雑誌を作っています。

ひとことで言えば、パズルの問題を作る部門と、雑誌の誌面を作る部門は独立しているのです。この体制は、パズル制作を外部委託で効率的に行えるというメリットがあります。ただその反面、出版側がパズルにあまりタッチしない場合もありえます。雑誌を出版する側がパズルに詳しくなくともパズル誌を出せるのです。極端な話をすれば、パズルについて全く知らず無関心でも、パズル誌刊行が可能なのです(そういう雑誌が売れるかどうかはおいといて)。

パズル制作側は、水準を満たすパズルを納品することを求められています。違う言い方をすると、納めたパズルが「水準を超えている」前提ありきで上記体制は成り立っています。
この体制は、問題の供給を効率化し安定をもたらしますが、同時に、問題を改良し成長させる動機は生み出しにくくなります。効率だけで考えれば、水準を超えたならば、それ以上の努力は求められないのですから。そしてその要求水準が低かったとしても、仕事としては成立してしまう場合もありえます。

ところが。
ニコリでは、誌面編集に加え、パズルの制作や編集も自分たちで行っていたために、誌面を作りながら「よりよいパズルとは何か」を問い続けねばならなかったのです。
本誌もクロスビーも、投稿を主体とする誌面作りをしていました。パズル制作を外注する体制と比較すると、パズルの供給量も品質も、安定が保証されてはいません。投稿数に不足があればそれを内部で補わねばなりませんし、また投稿パズルが水準超えの品質か否かを見極める能力は常に求められました。
そもそもペンシルパズル黎明期、よりよいパズルの正解がまだつかめないままに努力し続ける時期もあったようにも見えます。ですがこの努力により、ニコリという集団は、パズル制作や編集の技術を着実にアップさせていきました。

そして読者へも「よりよいパズルとは何か」を問いかけながら、ニコリは誌面作りをしていきました。
クロスビーの「課題クロス」では、投稿作へ講評を加えながら、実際に解ける形で問題を載せていました。これにより、「パズルにおいて、欠点とはどういうものか」「欠点があっても魅力的なパズルとは、どのようなものか」などを読者に示し続けていたのです。
本誌の「オモロパズルのできるまで」は、もっと直接的にパズルを成長させるコーナーです。パズルのルールそのものを募集し、選抜淘汰と改良改善を加えていくことで、過去にない新たなパズルが生み出されていきました。

つまりニコリでは、パズルはまだまだ成長過程、発展途上なものであるから、みんなでもっと高めていこう、という意識が根底に存在していたのです。そしてその考えのもと、読者とともに、二人三脚でパズルを成長させていったのです。
この体制があったからこそ、ニコリはパズルを成長させ、洗練していけたのだと、私は感じています。

さて、今回も最後に問題をどうぞ。
クロスビーが本誌と合併した、1992(平成4)年をテーマにした問題です。

ではまた次回。

(次回は2025年4月23日更新予定です)