どうも(ケ)です。
今回は、1983年に創刊した「クロスビー」がらみの補遺。

「日本クロスワード100年史」中、「1980年に創刊してからというもの、クロスワードの投稿が圧倒的に多く、こりゃあ別路線の方がすっきりするぞ、と考えた」という文章を引用しています。月刊ニコリスト(当時発行していたミニコミ誌)1992年6月号の、パズル通信ニコリ(以下ニコリ本誌)とクロスビーの合併告知内での記述です。文章の書き手は、当時のニコリ社長・鍜治真起。
クロスワードがいっぱい投稿されたのが、「クロスワードばっか誌」とうたうクロスビー誕生の一因だったわけですが。
さてなぜ、クロスワードばかりが投稿されたのでしょうか。

「投稿しやすいパズルは、クロスワードだけだった」
これが理由の一つめだと考えられます。
当時(広義の)ペンシルパズルとして知られていたのは、クロスワードぐらい。メイロや間違い探しなどのイラストパズルはハードルがやや高い。ワードサーチ(シークワーズ)やクリスクロス(スケルトン)も海外の雑誌には載っていましたが、まだ知名度が低い。数理パズルや虫くい算・ふくめん算などは知られていたけれど、それでもまだマイナー。(狭義の)ペンシルパズルの代表格、ナンバープレース(数独)やクロスサム(カックロ)が紹介されるのは、もうすこし先の話。
つまり、多くの日本人になじみ深いパズルの一番目が、クロスワードという時代だったわけです。そしてそれゆえに、80年代創刊のパズル雑誌はクロスワード雑誌中心になったのでしょうね。

そして、もう一つ、実はこっちがメインなんじゃないかと思う理由。
「そもそもクロスワードを募集してた」
ニコリ本誌の創刊前に出された創刊準備号では、課題パズルとして「クロスワード・はめ絵・ぬり絵」がすでに募集されています。そして創刊号では、その応募作を紹介しながら「課題クロス」を募集しています。

この課題クロスは、問題募集というよりは作品コンテストというべき位置づけ。しかし、他のページに載っている問題と大差ない、実際に解けるかたちで応募作が発表されています。内容への講評は付いていますが、この応募作もパズルとして楽しんでみてください、どう思うかご意見ください、との姿勢が顕著でした。
クロスビーが創刊すると、課題クロスはそちらに引き継がれます。クロスビー誌上ではさまざまな試みと、クロスワードのあり方についての検討がなされていきます。

ニコリ本誌でもクロスビーでも、この課題パズルとは別に、問題の投稿もつのっています。
課題パズルは、これをきっかけに「パズルを作る楽しさ」に目覚めてもらいたいという位置づけ、つまりパズル作家への入り口だったのでしょう。その先には「雑誌に載り、読者が解く」レベルの問題を投稿してもらいたいという目標があります。

門戸を大きく開いて、初心者作家も大歓迎、どんどん応募してくださいというのが、編集部のスタンス。
だから、クロスビー創刊前のニコリ本誌に、クロスワードがたくさん送られてきたのは、理の当然といえます。ニコリ編集部としては、予想以上にクロスワードばかりだったというところなのでしょうけれど。

ともかくも80年代初頭、パズル通信ニコリ、そしてクロスビーというパズル雑誌が日本に誕生しました。そしてこの両誌は、投稿パズルで誌面を構成しようというコンセプトを明確にしていきます。

「ニコリ」の特異性は、出版社であると同時に、パズル制作集団でもあった点です。
当時の世の中に、プロのパズル作家はいました。プロの雑誌編集者も無論いました。
しかし、プロの「パズル編集者」は、まだいなかったのです。日本にパズル雑誌というものがない時代でしたから当然です。

パズル雑誌を作る際には、雑誌誌面そのものの編集に加えて、パズルの編集という役目が必要になります(誌面編集者が兼任する場合もあります)。
パズル編集とは、パズルを解いてチェックし、品質を判定し、その質をより高める仕事。
作者本人が、自作のパズルを客観的に解くことは、なかなか困難です。クロスワードならなおさらです。パズルとしてきちんと解けるかは、第三者であるパズル編集が行うしかありません。
パズルの難易度、おもしろさを判別するのには、資質と経験が必要です。問題の質の良否、対象読者に適しているかなどの判断もしなければなりません。ときには、パズルの見かけ、ルールや説明文の適不適の検討なども必要となります。
これらの編集作業なしでは、パズルを商品として世に出すことはできません。これは、まがりなりにも20年あまりパズル編集をしてきた人間として、痛切に実感するところ。

ニコリは、パズル制作と出版物編集を両立させつつ「パズル編集のプロフェッショナル」という立場を確立させていきます。
ですがニコリは、最初からプロ集団だったわけじゃありません。正直な話、初期のニコリ本誌やクロスビーを見ると、まだまだつたないなあ、という印象(ごめんね当時のスタッフ)。
しかしみんな、経験を重ねることで成長していったのです。編集も、作家も、そしてパズルそのものも。

ニコリ本誌編集部、そしてクロスビー編集部には、投稿作を媒介として、読者・作者といっしょに「おもしろいパズルとはどのようなものか」を追及していく態度がはっきりと読み取れます。
「『クロスビー』を通して、クロスワードとは何ぞや? と真剣に考えたのは、恐らく日本で私たちが初めてだと思う」(月刊ニコリスト1992年6月号より引用)と鍜治真起が述べたとおり、既存のパズルを完成形と見なさず、よりよいエンタメとしての在り様を考え続けていたのです。

80年代初頭は、ペンシルパズルも、クロスワードも、まだまだ未熟で未完成な時代でした。未熟なパズルを、解き手としての読者と、パズルの作家と、そして編集スタッフとで、少しずつ少しずつ育てていった歴史があったのです。その歴史があったからこそ、パズルは現在にまで成長してきたのだと言えます。
そして成長は、現在も止まってはおりません。今後とも止まることはないでしょうし、その成長を止めたら、パズルは世の中から見放されちゃうでしょうね。

1980年のニコリ本誌創刊、1983年のクロスビー創刊。
80年代は「パズルを成長させていく」という動きが日本に生まれた時代だった。
現代の私には、そう見えるのでした。

さて、今回も問題をどうぞ。クロスビー創刊の1983年(昭和58年)がテーマです。
よく覚えてるよという人には懐かしく、まだ生まれてませんという人には新鮮な思いで、たのしく解いていただければさいわい。

次回もまた100年史を補遺する予定。80年代に起きた「パズラー」などのパズル雑誌創刊ブームについて触れるつもり。ご期待ください。

(次回は2025年1月29日更新予定です)