――この本は、いったいどういう本ですか。
――あなたを“パズルの世界”へお招きして、“図形”や“数”や“ことば”の国の、いろんな名所・旧跡を案内しながら、そのつど、あなたにおもしろいパズル遊びをやっていただこうという趣向です。(『パズル・クイズル』著者のことば より)
どうも(ケ)です。
『パズル通信ニコリ』連載の「100年史」第2回では、小城栄(おぎ・さかえ)著『パズル・クイズル』(正式名称は『パズル・クイズル:推理の遊び百科』)の書影を載せました。今回は、この本にからんであれこれ。
私が子どもの頃、親の蔵書に光文社カッパ・ブックスの『頭の体操』第1集がありました。多湖輝氏の人気シリーズです。
ご存じの方も多いでしょうが、『頭の体操』には、古典パズルを元ネタにした問題がたくさん載っています。私が最初に数理パズルに接したのは、この本を通じてでしたね。このあたりの初期体験が、いまニコリにいるきっかけの一つになったと思います。
『頭の体操』の末尾には、カッパ・ブックスの既刊リストがありました。その中の一冊が『パズル・クイズル』。その不思議な語感は、私の記憶になぜか残ったのでした。
実際に『パズル・クイズル』を手に取ったのは、それからずいぶんあとのこと。ニコリ入社後に、書棚で古い本を漁っていたとき。内容に目を通したのはさらにそのあと。本当に最近のことです。いま改めて読んでみようとは考えなかったのでした。いまさらですが、もったいなかったな、という気がします。
『パズル・クイズル』は、小城氏が昭和33年2月から一年にわたり毎日新聞西部版に連載していた「肩のこらない夕刊読みもの」を中心にして、一冊にまとめたものです。初版は昭和34(1959)年。ちなみに『頭の体操』第1集は昭和41(1966)年。
100年史では微妙な書き方をしたのですが、『パズル・クイズル』に先だつ数理パズル系の書籍はいくつもあります。
例えば『パズルの王様』の訳者として名を上げた藤村幸三郎氏は、戦前からすでにパズル本を出しています。昭和30年代初頭の著作であれば、生活百科刊行会から出た『数学パズル』『推理パズル』『続推理パズル』あたりが代表的でしょうか。
そのへんの事情はまあわかってたんですが、説明する紙幅がなくて、微妙な書き方でさらっと流してしまったのでした。違和感を覚えたかたがいらしたらすみませんです。
さて。そういう事情もありながら、わざわざ『パズル・クイズル』を書影に取り上げたのには、それなりの理由があります。
当時のパズル本は、数理パズルを紹介するものが主流です。もちろん『パズル・クイズル』も数理パズルの古典的名作をいくつも紹介しています。
ですが『パズル・クイズル』は、この時代のパズル本としては珍しく(私には珍しく思えるのです)、日本語を用いたパズル、いわば日本人のためのパズルに触れているのです。
「ことばの十字路」と題された章の中には「クロスワード」の一節がちゃんとあります。だからこそ100年史で書影を載せたのでした。
文中では「ことばのパズルの代表的なものに、おなじみの“クロスワード・パズル(Crossword Puzzle)”があります」「この普通のクロスワードについては、今さら説明の要もないと思います」などの記述があり、クロスワードが当時すでに一般常識となっていたことが、ここからもうかがえます。
小城氏の著作には『図形パズル』(生活百科刊行会、昭和31年)という本もありますが、その中でも言葉のパズルを扱っています。
日本にパズルを根付かせるためには、日本語を用いたパズルが役立つと、小城氏は考えていたのでしょうねえ。
そして小城氏は、昭和31年のクイズブームとも無縁ではありません。
なにしろ、毎日新聞西部本社に掲載されていた、ボナンザグラムの出題者をしていた、というのですから。
そのときのドタバタ騒動が、『パズル・クイズル』には「企画・出題裏ばなし」として書かれているのですが、まあこれがおもしろい。当時の過熱ぶりが実感できます。
小城氏は1913年の生まれなので、大正末期には十代。大正クロスワードブームを、小城少年はどう見ていたのでしょうねえ。
カッパ・ブックス版『パズル・クイズル』は、70年近く前の本なので、いま読もうとするのはなかなか大変です。けれど、2009年に光文社知恵の森文庫から出された版(正式名称は『パズル・クイズル 世界の名作・傑作で脳を鍛える!』)ならば、現在でも読みやすいかと思います。新刊で買うのはムリでも、図書館でならば見つけられるんじゃないかな。
小城栄氏は、カッパ・ブックス版が世に出た直後、1959年に早逝しています。文庫版は氏の死後50年の本なのです。著作権保護期間の関係なのかな、やはり。
文庫版の帯には「パズル・クイズブームはここから始まった」だなんて強気なコピーが踊っていますが、でも影響力が大きかったのは確かなのかなと思います。
せんない想像ですが、小城氏がもっと長生きしていたら、ことばのパズルの歴史、今とは違った道をたどっていたのかも知れませんね。
ところで。
昭和31年のクイズブーム、ボナンザグラムやクロスワードなどの問題そのもののおもしろさがウケたのでしょうか、それとも高額懸賞がウケたのでしょうか。
実のところは後者なんじゃないか、という気がしないではないです。
そして、このクイズブームの時流に乗り遅れちゃならない、と右にならえした新聞雑誌も多かったんじゃないかな、という想像が浮かぶのです。
売れてるものをまねしたり、みんながやってるからとまねしたり。そういうことで起きるブームがあります。
その種のブームを素直に肯定できない場合は、しばしばあります。しかしブームを生み出すだけの勢いを、あたまっから否定するのもなにか違うよなあ、という気もします。なんでまねが生まれるのか、まねってどういう行為なのか、はちゃんと考えてみないといけない。
ということで、今回のクロスワードは「まね」をテーマに作ってみました。
むかしのパズル本などについてつらつらとエラソーに語ってしまいましたが、私の知識は偏ってる上に拾い読み、おまけに過去のパズル研究家については最近学び始めたとこなので、見当違いを書いてたらごめんなさい。
ではまた次回。
(次回は11月27日更新予定です)